疫病の大流行なんて頭の片隅にもなかった。
それでも東京に五輪を招致するのはやめた方がいいと思ってた。
戦後復興から高度経済成長のあの頃とは世相も国民の熱量も違い過ぎる。
一瞬の祭りに税金を浪費するだけで終わってしまうんじゃないか?と懸念した。
なのに東京五輪は決まってしまった。
あの「お・も・て・な・し」の言葉を決め台詞にして…
エネルギーや素材といった資源に乏しい小さな島国ニッポン。
一方で少子高齢化は進み経済成長は鈍化の一途を辿る。
その窮地の策に「観光立国」を目論んだのはよく理解出来る。
当然五輪招致の本筋はそこにあったんだろうとは思う。
だけど、今の日本に「日本らしさ」がどれほどあるんだろうか?
大都会東京に日本を感じられるだろうか?
世界標準と日本固有の価値観のバランスをどう置くかは難しいが…
先進国という言葉に酔う一方で固有のアイデンティティーを疎かにしてはいないだろうか?
世界各国から人々を招くのであればそれが先決で、五輪招致はまだ時期尚早だと思った。
それでも東京五輪は決まってしまった。
決まった以上は成功を祈るのは一国民として当然だ。
ところが、誰もが予想だにしなかったコロナウィルスの蔓延…
五輪は「お・も・て・な・し」どころじゃなくなった。
復興五輪、コロナに打ち勝った証、コロナと闘う決意、共生社会、絆…
意義や御題目が目まぐるしく変わる。
そして迎えた開会式。
直前のゴタゴタもさることながら…
あまりに総花的になってしまったのは理念が明確になっていない以上しょうがない。
天皇の宣言の横で座したままの国と都のリーダー…
この国が言う「保守」という言葉が単なる仮面であったことが見えてしまった。
主観的に盛り上がれる人と客観的にただ眺めるだけの人と…
たぶんそれは現状置かれた立場で分かれているんだろう。
もちろん艱難辛苦を乗り越えた選手には自国他国を問わず喝采を送る。
だけど…
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々♪…
とてもじゃないがそんな気分にはなれない。
戦況悪化を辿る昭和19年…
東条内閣による享楽追放の掛け声で料理屋は一年の休業を強要されたそうだ。
神風特攻、学徒出陣、児童勤労奉仕、婦女子竹槍訓練…
そして最悪の結果となったインパール侵攻作戦。
そんな時代とどこか似てる。
IOCの意を汲んだ国や都が下請で…
内閣官房に揉み手の電通やらパソナやらリクルートやらアルソックやらが孫請で…
意義も理念もなく、一部の利益と権益のためにある五輪。
まぁそんなところだろう…
今日までの紆余曲折で見てはならぬ安っぽい現実が見えてしまったのよ。
開会式が安っぽく見えてしまったのは動機が不純だからかな…
もう目をつぶるしかないね。(苦笑)
さぁ今週も頑張ろう!
店内にオリジナルポスター作って4枚飾ったよ!
モデルになってくれたお客さんには記念に一枚差し上げます!